「欲がなくなる」という事と「死にたい」という事はとても近い。その1【無気力】【無欲】

「欲がなくなる」という事と、「死にたい」という事はとても近いとボクは思う。

人間は、刹那刹那の欲を叶えるために、いまこの時を生きている。

生きるためにご飯を食べるのではなく、お腹が空いたからご飯を食べる。
子孫を残すために恋愛するのではなく、性欲を満たすため、孤独を癒やすため、見栄を張るため、人生を楽しむために恋愛をする。
人間のすべての行動は生きるために行われているのではなく、欲を満たすために行われているのだ。

とすると、欲がなくなってしまった人間は、生きる気力を失ったも同然。
もしも「お腹がすいた、ご飯をたべたい」と思えなくなったとしたら、「別にご飯なんて食べたくないけど、食べないと死ぬし、仕方がないから食べるとするか」と思うようになるだろう。
そうなると後は時間の問題だ。
「別にご飯なんて食べたくないけど、食べないと死ぬし、・・・あれ?そういえば何で生きてるんだっけ?」と考えるようになり、希.死.念.慮の出来上がりである。

欲がない原因が、職場のストレスであれば救いようがある。退職すれば見違えるように治る。
しかしストレスに心当たりがなく、すっかり慢性化してしまった「無欲」はとてもタチが悪い。まるで重度の生活習慣病のように、その人の環境や生き方そのものに原因があるので、改善が難しいのだ。

「欲がない」ことに気づいたら、今の貴方の環境を変えなくてはいけないサイン

「欲がなくなる」状態になったら、一刻も早く今の環境を変えなくてはいけない。今の環境は居心地がよくて楽かもしれない。しかし人間の本質である欲がなくなっている以上、その居心地の良さは偽物である。
嫌なものから逃げているか、目をそらしているか、臭いものにフタをしているか…。
いずれにせよ、環境を変えない限り、無欲から解放される事はないだろう。

「じゃあ環境を変えるために今日は駅前の図書館で一日過ごしてみようかな…」
この程度の環境変化でも、十分効果がある。
外からの刺激が加われば、それをきっかけに必ず何かしらの反応がある事は間違いないからだ。

「欲がなくなる」という事と「死にたい」という事はとても近い。その2へ続く